FC2ブログ

プロフィール

Cecilie

Author:Cecilie
無邪気なサディスト、唯一の主には徹底的に隷属。全ての収束する先は一つ・・。

性、その他プライベートな色々のことを思うままに綴っております。いわゆる逸脱した性についても描いておりますので、嗜好の合わない方はどうかお見捨ておきくださいませ。

「執事奴隷」「M転-奴隷」「Je'tadore」「fateful」「re-deeper」「closest」「re-est」「another.s」「sai-ka」は主従・SMから始まったある男女の恋愛の成行きを綴っています。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QRコード

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失楽園



今さらながら渡辺淳一の失楽園を読みました。
これまでにも彼の作品はいくつか読んできましたが。
必読と思う分、思いを暖めてしまったとでもいいましょうか。


上巻を読み始めると、
それはまるで私とあの人の間に起きていることを、
丁寧に説明してくれているような、そんな感覚を抱きました。

「女はそんなに器用じゃないわ」
主人公の言葉に、“そうだよね、そういうものだよね”と共感して、
うまく言えませんが、
自分が認められたかのような気分になって咽び泣いたり。

あの人は、情事が終わるたびによく、
“吸い取られた”と口にしていましたが、
まさしく同じ男性の様子が描かれているのを読んでは、
そういうものなのか、と感心したり。

以前、女性の“逝く”には3種類あると記事にしたかと思いますが、
それについても言及されていたり、
快楽の絶頂において死にたいと感じることなども描かれており、
大変な共感を持って読みました。

それほどの深い性に辿りつくカップルは、1万組に1組だとか。
それほどに貴重なことなのかと、改めて感じたり。


もちろん有名な話ですから、その結末はなんとなく知っているものの、
自分たちと似たような境遇で性愛に溺れ、かつ、
その究極を求めて貫いた二人をまるで先輩のように思い、
どのようにしてその結末へ向かうのか、
息をのんで見守る思いで読み進めました。



読み進める中でしばしば感じたことがあります。
それは、男性も女性も、身体を重ねて同じように深く感じて、
同じように相手を深く想っているには違いないのですが、
女性が、時に思いつめるように深刻であるのに対して、
男性は、どこかあっけらかんとしていること。

あっけらかんと言って、真剣でないということではもちろんありませんが、
女性の深刻さとは随分温度差があるように感じます。
そしてこれは、これまで私があの人と関係する中で、
幾度となく感じたことのある思いです。

以下のような、男女の性・快楽の在り方の違いへの言及が何度も出てきます。

― もともと性においては、女性のほうが圧倒的に強くて逞しい。
というより、女性は一旦、快楽を知りはじめたら、底無し沼のように奥行きが深く、
果てしない。それにくらべたら、男の猛々しさなど、沼の表面ではね返る魚のように、表層的で瞬発的である ― (渡辺淳一, 失楽園:下, 講談社文庫, 2000)

もしかしたら、上記の深刻さのギャップは、
この、快楽の性質の違いに起因する部分があるのかもしれない、と、ふと思いました。
そして、やはり男と女は様々に違うのだということも。。


また、主人公の女性はよく死に続く想いを口にしています。
“絶頂に達した後に死を感じる”
私もあの人と出逢った始めの1~2年の頃はよくそのようなことを感じ、
性愛をとても刹那的に思っていたものですが、
主人公の女性も同様の思いを口にします。

タナトス 性の果てに感じる死 生と死の表裏性

こうしたことは私だけが感じたものではなく、
ここまでの性にたどりつけば誰もが思うことなのかもしれません。

作中のカップルは2~3年の交わりでその生涯を閉じますが、
私達は、そうした時期を超えて、今や付き合いも7年目。
あの時期を超えてみて、確かにあの頃とは違っていますが、
違う良さもあり、そして何よりあれだけのものを共有してきたこと、
それだけ濃い関係を築いてきたということも幸福には違いないと感じます。

あの頃、私は、相手を想う思いが強すぎて、
それに関係の確かさが足りない、と思っていました。
今は、想いに応じた分だけの関係の確かさがある、安心がある、と感じます。



作中のカップルと自分たちを比べるのもおかしな話ですが、
私達が絶妙なバランスをもって、
社会的な生活と二人の関係を両立してきたことについて、
私に関して言うならば、そこまでうぶでなかったこと、
出逢った時の年齢がまだ若くて縛りがなかったこと、仕事のある人間であったこと、
そして、自分で言うのもなんですが非常に女性的な面がある一方で、
男性的なものの考え方をする部分があること、等があるように思います。
そして、男性に関しては、
1つには、作中の男性にない、“正しさへの信念”のようなものを
あの人が持ち合わせていることがあるように思います。
自分がどうあるべきか、私をどのように愛するべきか、
そうしたことに関して、迷いのない意志を持っている。
だからこそ、私もそれを感じ取り、
彼の意志や思いに沿うべく、自制を強くしてやってきた。
そうしたことが、溺れつつも溺死しない、破たんしない、
という絶妙なところに留まっていられた理由かもしれません。



真に性愛を堪能する関係を築くためには、
恐らく社会的なしがらみから自由である必要があって、
純粋にお互いを想う気持ちだけをよりどころに関係を深めるためには、
そこに(日常の営みも含めて)役割や目的があってはいけないのだと思います。

しかし、難しいことに、その思いが強くなればなるほど、
相手の全てを欲しいと願う。
けれど、恐らく、結局それが叶ってしまったら、
もっとも大切に想っていたような関係や想いは消えてしまう。

この矛盾を常にはらんでいるのだと思います。
であれば、私と彼との間でお互いが大切にしてきたこと、
これからも大切にしたいと思っていることを尊重するために、
どのような形で関係を維持することが適切かは明らかです。


そうしたことも、あの人は始めから承知だったのでしょうか。
「そりゃあ僕だって夢はみる」
その思いを私だけでなくあの人も抱いてくれるということ、
それだけで幸せであるし、それが私達の到達しうる限界域なのでしょう。


何事も“進んでいく”という状況に慣れて、
つい、そうした枠組みで考えてしまいがちな私ですが、
上記のことが明らかになって、
ようやく、迷いなく、あの人とある今を大切にする、
というところに収束できつつあるようです。


久木と凛子が教えてくれたこと、、

これまでずっと、時折、かられてきた衝動、
いきたくていけなくて、たどりつけないけれど惹かれる、
その結末を、見せてくれたように思います。
女性が誰かを深く想えば当然のごとく抱きうる感情。
けれどその結末は、私の望むものではないから。



話がそれましたが、失楽園では、
安部定の陳述書の内容や、有島・波多野の情死についても触れられていて、
作者の、まっすぐに情愛に生きた人たちへの賛辞のように感じました。
そうした人々への作者の愛が、優しさが、溢れているかのような。

世間で幾度となく話題となった“失楽園”、
渡辺淳一の“性愛とは何か”ということをつきつめた集大成とでもいうべき大作でした。
本当に、とてもよい作品でした。



<< 通じ合う 1 | ホーム | 隷属 >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。